2008,01,30, Wednesday
ヘヴィーズ概論:2
いつもこうしてPCに向かう時にはあらかた酔っ払っていて、前に何であんなん書いたんかわからへんかったりするんです。前回もそうですが、うすうす覚えてるので続けます。
ヨコヤとはバンドマンとして知り合ったわけではなく、単に知り合いの知り合いとして知り合い、それがこうして今もバンドを演り続けている事はちょっと俯瞰で見てみるとすげーオモロイ。音楽を通じてしか出会えなかったとしか思えないから。
昔、オレの当時の彼女と下北のイタメシ屋のバイトで一緒に働き、ビリープレストンという暗号によって引き合わされたよう。ヨコヤもサノヴァビッチと同様に、自分の外に真実を求めるのでなく、自分の中に正義と物語を醸成している人物である。ヘヴィーズを取り巻く数少ない人々にさえ彼の偉大さ、貴重さは理解されているとは言い難い。彼なしではヘヴィーズは有り得なく、またヘヴィーズとして満足出来る道も歩めなかったであろう事は間違いの無い事実であるのです。例えば、オレが”こうじゃ!”と言うとサノヴァビッチが”そやな”とか言うけれど、ヨコヤは”そぉ〜れはコレコレナニナニでアレがそうなので全然イイと思います!いや、まじで”と論理的裏付けを付与してくれる事も貴重だ。からかってる様だが本当に貴重だ。あえて無理にでも言葉にするという事の大切さはまた、どうしても言葉に出来ない事を意識させるのに不可欠である。彼はそれをいつも意識した上で言葉を紡ぐのだ。
一昨年まではギターを担当していた彼が昨年からベースギターに持ち替えた時に残念がる人も多数出たが、オレはヨコヤのベースが当初から気に入っていた。ベースとしての在り方にとらわれる感覚無しでベースを弾けるから。ドラムとベースが有り体にとらわれる事ほど最悪な事は無い、ロックバンドにとって。と、思う。
ヨコヤはスゴイよ。
ヨコヤとはバンドマンとして知り合ったわけではなく、単に知り合いの知り合いとして知り合い、それがこうして今もバンドを演り続けている事はちょっと俯瞰で見てみるとすげーオモロイ。音楽を通じてしか出会えなかったとしか思えないから。
昔、オレの当時の彼女と下北のイタメシ屋のバイトで一緒に働き、ビリープレストンという暗号によって引き合わされたよう。ヨコヤもサノヴァビッチと同様に、自分の外に真実を求めるのでなく、自分の中に正義と物語を醸成している人物である。ヘヴィーズを取り巻く数少ない人々にさえ彼の偉大さ、貴重さは理解されているとは言い難い。彼なしではヘヴィーズは有り得なく、またヘヴィーズとして満足出来る道も歩めなかったであろう事は間違いの無い事実であるのです。例えば、オレが”こうじゃ!”と言うとサノヴァビッチが”そやな”とか言うけれど、ヨコヤは”そぉ〜れはコレコレナニナニでアレがそうなので全然イイと思います!いや、まじで”と論理的裏付けを付与してくれる事も貴重だ。からかってる様だが本当に貴重だ。あえて無理にでも言葉にするという事の大切さはまた、どうしても言葉に出来ない事を意識させるのに不可欠である。彼はそれをいつも意識した上で言葉を紡ぐのだ。
一昨年まではギターを担当していた彼が昨年からベースギターに持ち替えた時に残念がる人も多数出たが、オレはヨコヤのベースが当初から気に入っていた。ベースとしての在り方にとらわれる感覚無しでベースを弾けるから。ドラムとベースが有り体にとらわれる事ほど最悪な事は無い、ロックバンドにとって。と、思う。
ヨコヤはスゴイよ。
2008,01,28, Monday
ヘヴィーズ概論:1
ヘヴィーズは、ウィリーズアップルと言うバンドの崩壊によってもたらされたもの。メンバーのうち、ベースとドラムが脱退を表明し、残ったメンバーがヘヴィーズになった。
サノヴァビッチは20歳前後の時、オレの小学校以来のツレとニューヨークでつるんでいたらしい。不法滞在で退去命令を喰らいつつ、いろんなものに酩酊しつつ帰った日本は東京の高円寺だか阿佐ヶ谷だかで初めて会った。リーゼント風の頭で似合ってなかった。ヘタなドラマーだった。その頃、オレは確か、決まったバンドを持っておらず、”タイラーズ”とか何とか適当に友人を集めて演奏していた。サノヴァビッチが結婚パーティーをやるのでタイラにはドゥービーブラザーズのロングトレインランニングを唄ってくれと言うので、練習してたらハープソロがあったもんで試してみたらそれまで出来なかったベンドとかが出来たりなんかしてハープを覚えるきっかけになったりした。そのパーティーのオープニングはニールヤングのシナモンガールだった。
オレはウィリーズを組んでしばらくして、サノヴァビッチにバンドへの参加を打診。抵抗勢力も大いに存在したが無視。まずはパーカッショニストとして、その後ハープ担当として。
ヘヴィーズとして活動を始めた当初もハープでブイブイ言わしてたサノヴァビッチだが、2007年初頭のクーデターに我慢ならずドラム復帰を決意。十何年かぶりにスティックを振っている現在である。
サノヴァビッチこそロックである。ロックそのものである。体現してるんである。いい加減である。危ういんである。不幸である。自分の信じる正義に忠実である。”オレは悪くない”と言い張る。で、みんなに愛される。本人が愛されたいと欲する対象以外から。学ぶべき事は多い、今もなお。
ヘヴィーズは彼なくしては為しえない。彼がヘヴィーズを為し、ヘヴィーズたらしめている。
馬鹿だけど。馬鹿だから。
サノヴァビッチは20歳前後の時、オレの小学校以来のツレとニューヨークでつるんでいたらしい。不法滞在で退去命令を喰らいつつ、いろんなものに酩酊しつつ帰った日本は東京の高円寺だか阿佐ヶ谷だかで初めて会った。リーゼント風の頭で似合ってなかった。ヘタなドラマーだった。その頃、オレは確か、決まったバンドを持っておらず、”タイラーズ”とか何とか適当に友人を集めて演奏していた。サノヴァビッチが結婚パーティーをやるのでタイラにはドゥービーブラザーズのロングトレインランニングを唄ってくれと言うので、練習してたらハープソロがあったもんで試してみたらそれまで出来なかったベンドとかが出来たりなんかしてハープを覚えるきっかけになったりした。そのパーティーのオープニングはニールヤングのシナモンガールだった。
オレはウィリーズを組んでしばらくして、サノヴァビッチにバンドへの参加を打診。抵抗勢力も大いに存在したが無視。まずはパーカッショニストとして、その後ハープ担当として。
ヘヴィーズとして活動を始めた当初もハープでブイブイ言わしてたサノヴァビッチだが、2007年初頭のクーデターに我慢ならずドラム復帰を決意。十何年かぶりにスティックを振っている現在である。
サノヴァビッチこそロックである。ロックそのものである。体現してるんである。いい加減である。危ういんである。不幸である。自分の信じる正義に忠実である。”オレは悪くない”と言い張る。で、みんなに愛される。本人が愛されたいと欲する対象以外から。学ぶべき事は多い、今もなお。
ヘヴィーズは彼なくしては為しえない。彼がヘヴィーズを為し、ヘヴィーズたらしめている。
馬鹿だけど。馬鹿だから。
2008,01,12, Saturday
Char meets ジェイク・シマブクロ
続けて観た!すげー!たまたま今読んでる本(2回目)が”ネイティヴアメリカンとネイティヴジャパニーズ”っちゅー本で、これとリンクする話がいっぱいあって、ライトタイム:ライトプレイスを実感しました。Charさんにおかれましてはこの番組、不定期でいいからライトタイム:ライトパースンでまたよろしくお願いしまくります!
オススメ:
北山耕平著:ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 株式会社太田出版
オススメ:
北山耕平著:ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 株式会社太田出版
2008,01,12, Saturday
Char meets 渡辺香津美
フジテレビ721でその番組を観た!再放送やったんかな?Char meets 〜は番組表でみつけてはいろいろ観てはいましたが、この回は凄かった!特別でした!すげー!としか!番組の終わりにCharが勝負にこだわってたとこもオモロかった。オススメです!
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